昭和48年01月22日 朝の御理解



 御理解 第70節
 「人間は万物の霊長であるから、万物をみて道理に合う信心をせねばならぬ。」

 誰しもが願うことは、本当の意味で楽になりたい。病気をしておる人は、病気に辛苦しておる、病気に苦しみ悩んでおる。全快のおかげを頂きたい。お金に不自由をしておる人は、早うお金にだけは苦労せんですむ、楽なおかげを頂きたいと、願わん者はありません。どんなにお金があって健康であっても、家庭の中が麻のように乱れておる家もあります。いつもその為に地獄のような生活をしておる人達があります。
 本当に家庭の円満を心の底に願いながら、円満でない心で戦ったり心で憎しみ合ったり、と言う様な生活をしておる人が沢山あります。そういう難儀から開放されたい。これが楽になりたいと言うのです。だから信心は誰しもそのどれかがですね、やっぱりあるんじゃないかと。お金のある人はまたは健康である人は、または全部が足ろうておっても、人間の本当の幸福という事は、私共が楽になるという事。
 そういうものから解脱すると言うかね、開放される所のおかげを頂いた時に、初めて有難い生活所謂極楽の生活。だから今日はその事を御理解に頂くのに、楽になりたいという事は、傍楽という事じゃと御理解に頂きました。傍楽楽です。もう私は本当にそれを思いますね。今日はここに万物の霊長だから、万物をみて道理に合う信心をせよと仰る。例えて申しますと、タライの水を向こうへ押しますと、こちらへ返ってきます。こちらへ引こうとこうしますと、水はむしろ反対の向こうの方へ逃げてきます。
 これが道理なんです。皆さん、これはもう本当にいつの時代になっても、この道理だけは変わらないのですよ。ですから自分が楽になりたい、楽になりたいと言うて自分の方へばかりこうやって、所謂自己中心のですかね行き方であっては、いつまで経っても楽にはなれません。おかげで金には不自由せんようになった。健康だけはと言いますけれどね、もうどれかによって、必ず難儀をしなければなりません。それは自分で楽をしよう、楽をしようと思うからです。本当の楽というものは傍楽です。
 これは一生懸命働くと。それも本当に御用と思うてさせて頂く、働かせて貰うと言う事もです。確かにこれは楽しい事ですけれどね。今日私が皆さんに分かって頂きたいのは、傍を楽させるという事なんです。この御理解は、皆さん私は何回も色んな例の時に申しましたけれども。今日言っておるのは意味が違うのです。働くとは傍を楽させる事だと。けれどもね、それは今日の場合は私共が幸せになりたい。
 本当の意味で楽になりたい、という事が中心であってそんならば、傍楽と言う楽が一番最高の楽だと言う事です。傍楽という事は傍の者を楽させると言う事です。これはちょうどタライの水を向こうへ押すようなものです。どうぞどうぞと向こうへ押すようなもの。ですから是はもう絶対の理です、自分に返ってくる。この楽ならね一切が楽という楽が整うてくるでしょう。
 健康でない者は健康になるでしょう。お金に不自由しとりゃお金に不自由しなくなるでしょう。人間関係も上手く行くでしょう。 いわゆる傍楽という楽を求めなければいけません。これがもう人間の最高の楽になる秘訣です。しかも道理に合うた話なんです。こげん道理に合うた話はないです。自分だけが楽をしたい、自分だけが楽をしたいという楽はです。一生懸命努力をしますから、その事だけは楽になるかも知れません。
 おかげで金だけは、不自由せんごつなったと言いよる時には、子供が言う事聞かんごとなったり、病気したりするですこれはもう絶対ですよ。自分中心での求める楽と言うのは。道理でしょうが自分の方へ自分の方へとこう引くなら、向こうの方へ本当の楽は逃げてしまうです。今日はその楽という字を、色々に楽という字から解釈して頂いて、今日の御理解を、皆さんに聞いて頂いているのですけれどもね。楽という字は中に白いという字が書いてあって、横にこう糸偏に手のないのが両方にありますよね。
 その下に大きく木がある、そして楽なんです。そこでそれはどう言う様な事かと言うとです。自分という者が中心。中心が所謂白紙になると言う事。と言う事は今まで、あれを頂きたい、これを頂きたいと言うのが信心のように思うておった思いを、捨ててしまうと言うこと。これ、極端、分かりやすく申しておりますか、言いよるとですよ。そして信心とはです。信心とはわが心が神に向こうていく。魂が清まっていく一歩一歩神に近付いて行くと言う事がです、信心だと所謂大改まりに改まる心を起こす事です。
 それでいてですいわば、自分中心ではなくてね。いうならば神様を中心とした生き方をすると言う事です。心が神に向かうそれが信心なんだ。おかげだご利益だ願っておる事が、どうぞ成就しますようにと言う間は成就すりゃ有り難いけれども、成就しなかったら神様の所謂神様不信と申しますかに陥ってしまわなければなりません。なる程おかげ頂いたこつもあるけん、やっぱ、願わんよりかよかろうばってんか、信心なそるきんやめきらんばってん、信心な続きよるち言うぐらいなのは、そうじゃないでしょうか。
 頂いたり頂かなかったりじゃ。所謂神様不信の世界でうごめいておる信心からです。一つ本当にねわが心が神に向かうという事が、信心だと分からせて頂くところからです。もうおかげとか、おかげでないという事は、問題でなくなってくる。それどころかで、愈々本当の楽という事が分かってくる。本当の楽という事は傍楽という事、傍楽という楽が最高なんです。
 主人は家内が楽に成る様に。家内は主人が楽に成る様に。親は子を子は親を商売しとるなら、お客さんに喜んで頂く様に是なんです。この事についてですね今日は卸売と小売という事を頂いたんです。私共がですねただその辺の所を、本当の例えば大改まりに改まらずにです。只信心が続けておってお願いをして、おかげを頂いたり頂かなかったりで、信心せん者よりか幾らかましという様な信心は、まあ小売位なもんです。小売。私共が本当に自分の心が、神様の方へ向かって進んでいくという事がそれが信心だ。
 だからその稽古をするのが教会参りなんだ。わが心が神に向こうていく稽古なんだ、信心とは。だから起きて来る様々な問題も、すべてが神になる所の皆んな、材料ばっかりなんだ。愈々自分が本心の玉を磨いたり、改まっていく材料ばっかりなんだ。ですから楽しゅうなって来る信心が。自分で分かる。自分の心が一歩一歩神に近づいていきよる姿が分かる。だから限りなく稽古しなければおられなくなって来るのです。だからこれにはまた、限りないおかげが頂かれますけれどもです。
 それでいて最近皆さんが、日々御祈念をさせて頂いておる五つの願い。是はもう絶対、傍を楽させるための願いなのです。健康になりたいという願いも子孫繁盛家繁盛のおかげを頂くという事も、家庭が円満になるという事もです。皆んな私の為ではなくてあなたの為になのです。真実の御用がさせて頂きたい、神願成就の事の為の御用がさせて頂きたいからばっかりの事ですから。所謂神様を中心神様の心を分かっての願いである。だから最近私は思います事は、五つの願いを繰り返し繰り返し致しよりますとですね。
 他の祈りの言葉はもうなくなってしまうような感じが致しますね。もうこの五つの願いの中に、全部入ってしまうですよ。こういう生き方こそです。いわば小売から卸売業になるようなもんじゃないでしょうか。おかげでんなんでん、卸売でガバガバ下さる様になるです。そん時に初めて私共が、なる程楽をするという事は楽になりたいと言う事は、傍楽の心が起こった時から始まるのだという事が分ります。自分中心から神様を中心に申し上げた生き方そういう信心生活。今日は万物の霊長である私共がです。
 道理に合う信心をせよと。もう今日私が皆さんに聞いて頂いた位道理に合う話はないでしょう。それを私共がいつまっでん、小売でおかげだけを頂いたり頂かなかったり、儲かったり儲からなかったりで、何時も一生を終わってしまう。それではあの世に持って行く様な物も、大した物はありはしません。私共が、本当に信心とはわが心が神に向うのを信心と言うのじゃ。信心とは神になり神に祭られる事を楽しみに信心する事じゃ。そういう本当の楽しみが出るような信心をさせて頂きたい。
 それには道理に合うたいうなら傍を楽お互いが楽したいのです、本当の楽になりたいのです。本当の楽というのは傍楽と言う事じゃと仰る。一生懸命働くという事その一生懸命働くと言う事もです。自分中心ではなくて神様を中心とした傍楽なんです。それが五つの願いなのです自己主義と言うですか、自分さえよかればよいと言うですか。只自分一家だけがどうやらこうやらやっていきゃ、それで良いと言った様なものじゃなくてです。傍が楽になって行く事の為に私共が信心するから。
 本当の意味に於いての楽が許されるのです。それはタライの水の例を申しましたでしょう。楽はこっちさん来いこっちさん来いと言うけん皆んな逃げてしまう。それを例えば向こうへ押す気になったらです。要らんと言うてもそんならこちらへ返って来る様な道理なんです。この様に道理に合うた話しはありません。楽になりたい楽になりたいと言う。その楽になりたいという事は働くという事一生縣命に働くという事。しかもその一生懸命に働くのが自分中心ではなくてです。傍を楽させる事の為に働く、是が本当の楽だという事を今日は聞いて頂いたですね。
   どうぞ。